INOKASHIRA PARK JUNE 2018

今年の2月からなんとなく始めたランニングも気がつけば5ヶ月目に突入していた。学生の時にはあんなに嫌だった長距離走も意外と苦じゃなかったのが自分でもびっくり。ただ、たったの5、6kmを長距離とよんでいいのか疑問だし、nike run clubやspotifyのおかげが大きいのだけど。(記録を残すだけでこんなにモチベーションが続くなんて。あとspotifyは本当に便利で楽しい。IT万歳だ!そしてNRCアプリの終了時に長谷川りえや安田美沙子の「お疲れ様!」を聴く毎週末。)

朝から小雨がパラついたけど気持ち良さそうだから走ることに決めて近所の公園に向かう。いつもは太極拳をやっているグループだったり野球を練習する人たち(せまい公園なのによくやるなぁ。)で朝から割と賑わう場所だけど、殆どその影もなくて今日はとても快適。昼前には雨があがる予報だったな、だったら夏がやってくる前の新鮮な緑を撮っておこうか、と考えながらボンヤリ走る。

そう決めれば話は早く、帰宅したらシャワーと家事を済ませて井の頭公園に向かった。定番のスワンボートや紫陽花を撮りつつも、そういえば公園自体は三鷹側まで続いたはずだけど全周まわったことがないことに気がついてぶらつくことに決める。

紫陽花って、この季節ついつい撮ってしまいがち。なんとなく自分の中では「実家の庭先にある感」が強く、撮りながら「こんなにありがたいものだったっけ?」と「でも季節もんだし綺麗だからええやん」を繰り返すことになる。

吉祥寺駅側の公園はいつも通りいっぱいの人であふれているけど動物園をすぎると途端に人影がまばらになって落ち着いてくる。

想像以上に生い茂る新緑と、雨上がり後の土臭い感じ、前日の肌寒さを少し引きずった湿度がちょうどよくて絶好の散歩日和だと思う。今日の一番は、先日オススメされた星野道夫のエッセイ「旅をする木」があんまりにもよかったものだから外で読もうと、終わり際でとめておいたことだった。最後を読むのにぴったりの切り株があったからその近くのベンチで消化して帰る。

タイトルにもなっている、”旅をする木”の一節、

「……..ずっと昔、初めて行った北極海の海岸で、大きな流木の上に止まる一羽のツグミを写真に取ろうとした日のことを覚えています。木が生えない北極圏のツンドラで、なぜ流木が海岸に打ち上げられているのだろうと不思議に思いました。それは川に流され、長い旅をへて海に出て、やがて海流に運ばれながらある日遥かな北の海岸にたどり着いた一本のトウヒの木だったのです。枝が落ち、すっかり皮も剥げ、天空に向かって突きさすように伸びるあのトウヒの姿はありません。けれども、その流木は風景の中でひとつのランドマークとなり、一羽のツグミが羽を休める場所だけでなく、ホッキョクギツネがテリトリーの匂いを残すひとつのポイントになっていたのかもしれません。また流木はゆっくりと腐敗しながらまわりの土壌に栄養を与え、いつの日かそこに花を栄えるのかもしれません。そう考えると、その流木の生死の境というものがぼんやりしてきて、あらゆるものが終わりのない旅を続けているような気がしてくるのです。……….」

ここの文、そして星野さん自身の事と池澤夏樹さんによる解説文の円環構造がとっても綺麗。

比べるまでもなく、自分の文章を翻ってみると今のところまったくまとまっていないけれど、いつかはあんな文章をかけるようになりたいなと強く思う。メールすらまともに書くこともままならないのに。そういえば昔、作文も大の苦手だったっけ。でも久し振りに走ってみたら意外とスンナリ克服できていたんだから文章だって強制的に書くことで克服できていかないだろうか。大満足の散歩から帰ってテイクアウトしてきたモスバーガーを齧りつつ、憧れの円環構造で閉じることができた些細な充実感を、2018年の6月に感じたのでした。

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